今 思うこと

AAFC 連続エッセイ
投稿日
2013/06/30
執筆担当
渡邊 豊治
 

幼少期のころ
私は、1949年、富士山のふもと(山梨県)の田舎町で生まれ、高校卒業までそこで育ちました。同じ敷地の中に私たち家族の住む家と、祖父母が暮らす家が隣接してありましたので、小学校に上がる前は、よく祖父母の家に遊びに行ったり、泊まったりしていました。
そこには、祖父が注文した高さ1メートルを超えるぐらいの電蓄が置いてあり、よくラジから聞こえてくる、浪曲や相撲の実況、ニュース等を聞いていたのを覚えています。
たまに祖父がSPレコードかけていましたが(多分、民謡、歌謡曲、都々逸、等々だったと思う)大きな音でかけていたので、その音が耳障りで私は嫌いでした。のちに家族の人から聞いた話では、その電蓄は高額だったと言っていました。祖父はよく自慢げにおおきな音でレコードをかけていたそうです。今思えば、祖父からその話を少しでも聞いておけばよい思い出となったのですが、今で言うオーディオマニアだったのかもしれません。
因みに、家族の中で、再生装置に興味を待ったのは、祖父と私だけでした。

音楽との出会い
あれは私にとって忘れられない出来事でした。中学2年生の時、悪友数人と同じクラスの友人宅に遊びに行った時のことです。今となっては、何の目的で行ったのか全く覚えていませんが、彼の部屋行き雑談をしていると、床の間にあったアンサンブル型のステレオの前扉をあけレコードをかけてくれたのです。曲目はドボルザークの新世界でした。特に4楽章のメロディーには圧倒され、今まで全く聞いたことのない音と音楽でした。 当然、その虜になってしまい、自分もほしいと思ったのですが、簡単に手に入る品物ではありません。多分、サラリーマンの給与、数か月分出さないと手に入れることはできないと思いました。自分の家庭はそんな経済的な余裕があるわけがないので、友人宅に度々遊びに行き、色々な曲を聞かせてもらったことを覚えています。

オーディオ装置について、
社会人になって、収入を得るようになり漸く自分の装置を手に入れることができるようになりました。スピーカーはパイオニア、オンキョウ、アルテック等々を聞いてきましたが、なかなか気に入った音がしなかったのですが、20年程前にタンノイに変えてから浮気はしなくなりました。タンノイの設計コンセプトはコンサートホールのセンター席で聴く音を目指していると、どこかで読んだような気がします。クラッシクのコンサートで聴く音に、自分の装置の音を近づけたいと思っているのですが、なかなかうまくいきません。

 アンプの自作
一番初めに作成したのは211のシングル(キット)でした。今考えると無謀な行動だと思います。またマランツの#7、#8、#9(キット)等を作成し最近では、300B、DA60のアンプを作成しました。マランツのアンプを組む時は、オーディオ専科、新藤Lab等に押しかけて、ずうずうしくも作成のための注意点等を聞きに行きました。どちらのお店もオーナーが親切に、オリジナルアンプの底蓋を開けて説明をして頂き、写真をまで撮らせてもらいました。何も購入しないで帰ってきましたので、いまでは心苦しく思っています。
アンプを作成する理由は、自分の好みの音を作りやすいからです。またビンテージの1点物の部品を使うことも、コスパを度外視して部品を使用することもできます。やりたい方だいです。メーカーでは絶対できないことができ、音は自分好みの音に近づけることができるからです。

最後に、自分の作りたい音はスピーカーとスピーカー約2M弱の間に、小さなコンサートホールを作り、そこからそのサイズに合った音楽が、演奏が、聞こえてきてほしいのです。
なかなか上手く鳴りませんが、悪戦奮闘中です。
我が家の装置の視聴は、いつでも歓迎します。
聞く音の好みは微妙に違います。高域の良く伸びた音を好む人、低域を強調した音が好きな人、広帯域の音を望む人、明るく力強い音を求める人、繊細な音を望む人、我が家の装置が参考になるかどうか解りませんが。
また、視聴をさせて頂ける方がいらっしゃいましたら、ぜひお願いします。できる事が有れば少しでも自分の装置へ還元したいと思っています。

長々と駄文を書いてしまいましたが、 次は松井光隆さんにお願いします。

以  上